死として一般的なものである。人祖アダムといふ思想はここに根據をもつてゐる。死の有するこの不思議な一般性こそ我々を困惑させるものである。死はその一般性において人間を分離する。ひとびとは唯ひとり死ぬる故に孤獨であるのではなく、死が一般的なものである故にひとびとは死に會つて孤獨であるのである。私が生き殘り、汝が唯ひとり死んでゆくとしても、もし汝の死が一般的なものでないならば、私は汝の死において孤獨を感じないであらう。
しかるに生はつねに特殊的なものである。一般的な死が分離するに反して、特殊的な生は結合する。死は一般的なものといふ意味において觀念と考へられるに對して、生は特殊的なものといふ意味において想像と考へられる。我々の想像力は特殊的なものにおいてのほか樂しまない。(藝術家は本性上多神論者である)。もとより人間は單に特殊的なものでなく同時に一般的なものである。しかし生の有する一般性は死の有する一般性とは異つてゐる。死の一般性が觀念の有する一般性に類するとすれば、生の一般性は想像力に關はるところのタイプの一般性と同樣のものである。個性とは別にタイプがあるのでなく、タイプは個性である。死その
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