親鸞
三木清

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【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)拘泥《こうでい》する

|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)僧|毘尼《びに》を

[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
   (数字は、JIS X 0213の面区点番号、または底本のページと行数)
(例)拘※[#「目+炎」、408−上−9]弥《コーシャンビー》国に

*:注釈記号
 (底本では、直前の文字の右横に、ルビのように付く)
(例)徴表である*。
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  一 人間性の自覚

 親鸞の思想は深い体験によって滲透されている。これは彼のすべての著作について、『正信偈』や『和讃』のごとき一種の韻文、また仮名で書かれたもろもろの散文のみでなく、特に彼の主著『教行信証』についても言われ得ることである。『教行信証』はまことに不思議な書である。それはおもに経典や論釈の引用から成っている。しかもこれらの章句があたかも親鸞自身の文章であるかのごとく響いてくるのである。いわゆる自釈の文のみでなく、引用の文もまたそのまま彼の体験を語っている。『教行信証』全篇の大部分を占めるこれらの引文は、単に自己の教えの典拠を明らかにするために挙げられたのではなく、むしろ自己の思想と体験とを表現するために借りてこられたのであるとすれば、その引文の読み方、文字の加減などが原典の意味に拘泥《こうでい》することなく、親鸞独自のものを示しているのは当然のことであろう。『教行信証』は思索と体験とが渾然として一体をなした稀有の書である。それはその根柢に深く抒情を湛えた芸術作品でさえある。実に親鸞のどの著述に接しても我々をまず打つものはその抒情の不思議な魅力であり、そしてこれは彼の豊かな体験の深みから溢れ出たものにほかならない。
 かようにしてしばしばなされるように、彼の教えを体験の宗教として特色づけることは正しいであろう。しかしその意味は厳密に規定されることが必要である。宗教を単に体験と解することは宗教から本質的に宗教的なものを除いて「美的なもの」にしてしまう危険を有している。実際、親鸞の教えにおいて体験の意義を強調することからそれを単に「美的なもの」にしてしまっている例は決してすくなくはないのである。親鸞はすぐれて宗教的人間であった、彼の体験もまたもとより本質的に宗教的である、ところで宗教的体験の特色は「内面性」にある。親鸞の体験の深さはその内面性の深さである。彼の抒情の深さというものもかくのごとき内面性の深さにほかならない。

    人間 愚禿の心

 親鸞の思想の特色は、仏教を人間的にしたところにあるというようにしばしば考えられている。この見方は正しいであろう、しかしその意味は十分に明確に規定されることを要するのである。
 親鸞の文章を読んで深い感銘を受けることは、人間的な情味の極めて豊かなことである。そこには人格的な体験が満ち溢れている。経典や論釈からの引用の一々に至るまで、ことごとく自己の体験によって裏打ちされているのである。親鸞はつねに生の現実の上に立ち、体験を重んじた。そこには知的なものよりも情的なものが深く湛えられている。彼の思想を人間的といい得るのは、これによるであろう。生への接近、かかる現実性、肉体性とさえいい得るものが彼の思想の著しい特色をなしている。しかしながら、このことから親鸞の宗教を単に「体験の宗教」と考えることは誤りである。宗教を単に体験のことと考えることは、宗教を主観化してしまうことである。宗教は単なる体験の問題ではなく、真理の問題である。〔欄外 Emil Brunner, Erlebnis, Erkenntnis und Glaube, 1923.〕真理は単に人間的なもの、主観的なもの、心理的なものでなく、あくまでも客観的なもの、超越的なもの、論理的なものでなければならぬ。もし宗教が単に体験に属するならば、それは単なる感情、いな単なる感傷に属することになるであろう。かくして宗教は真に宗教的なものを失って、単に美的なもの、文芸的なものと同じになる。親鸞の教えがともすればかくのごとき方向に誤解され易いことに対して我々は厳に警戒しなければならない。もとより親鸞の思想の特色が体験的であること、人間的であること、現実的であることに存することは争われない。そこに我々は彼の宗教における極めて深い「内面性」を見出すのである。しかし内面性とは何であるか。超越的なものが内在的であり、内在的なものが超越的であるところに、真の内面性は存するのである。内面性とは空虚な主観性ではなく、かえって最も客観的な肉体的ともいい得る充実である。
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五濁悪世の衆生の
選択本願信ずれば
不可称不可説不可思議の
功徳は行者の身にみてり
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あるいは、
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弥陀のちかひのゆへなれば
不可称不可説不可思議の
功徳はわきてしらねども
信ずるわがみにみちみてり
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という二種の和讃はこの趣を現わすであろう。
 親鸞の文章には到るところ懺悔《さんげ》がある。同時にそこには到るところ讃歎がある。懺悔と讃歎と、讃歎と懺悔と、つねに相応じている。自己の告白、懺悔は内面性のしるしである。しかしながら単なる懺悔、讃歎の伴わない懺悔は真の懺悔ではない。懺悔は讃歎に移り、讃歎は懺悔に移る、そこに宗教的内面性がある。親鸞はすぐれて宗教的な人間であった。懺悔と讃歎とは宗教の両面の表現である。〔欄外 Augustinus〕親鸞の文章からただ懺悔に属するもののみを取り出して、彼の宗教の人間的であることを論ずる者は、彼の思想を単に美的なもの、文芸的なものにしてしまうことであって、いまだ宗教的人間のいかなるものであるかを知らざるものといわねばならぬ。親鸞における人間の問題はどこまでも宗教的人間の問題、宗教的人間の存在の仕方の問題でなければならぬ。懺悔は単なる反省から生ずるものではない。自己の反省から生ずるものは、それが極めて真面目な道徳的反省であっても、後悔[#「後悔」に傍点]というものに過ぎず、後悔と懺悔とは別のものである。〔欄外「後悔はそれぞれの行為、懺悔は全存在にかかわる。」〕後悔はわれの立場においてなされるものであり、後悔する者にはなおわれの力に対する信頼がある。懺悔はかくのごときわれを去るところに成立する。われはわれを去って、絶対的なものに任せきる。そこに発せられる言葉はもはやわれが発するのではない。自己は語る者ではなくてむしろ聞く者である。聞き得るためには己れを空しくしなければならぬ。かくして語られる言葉はまことを得る。およそ懺悔はまことの心の流露であるべきはずである。しかるにまことの心になるということはいかに困難であるか。自己を懺悔する言葉のうちにいかに容易に他に対してかえって自己を誇示する心が忍び込み、またいかに容易に罪に対してかえって自己を甘やかす心が潜み入ることであるか。
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浄土真宗に帰すれども
真実の心はありがたし
虚仮《こけ》不実のわが身にて
清浄の心もさらになし
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と親鸞は悲歎述懐するである。煩悩の具わらざることのない自己がいかにして自己の真実を語り得るのであるか。自己が自己を語ろうとすることそのことがすでに一つの煩悩ではないか。親鸞が全生命を投げ込んで求めたものは実にこのただ一つの極めて単純なこと、すなわち真実心を得るということ、まごころに徹するということであった。信仰というものもこれ以外にないのである。煩悩において欠くることのない自己が真実の心になるということは、他者の真実の心が自己に届くからでなければならぬ。そのとき自己の真実は顕わになる。われが自己の現実を語るのではなく、現実そのものが自己を語るのである。ここに知られる真実は冷い、単に客観的な真理ではない。この真実にはまごころが通っている。まごころは理性ではなくむしろ情のことである。我々は人間的真理を二と二との和は四であるという数学的真理を知ると同じように知ろうとするのではなく、またそれはそのように知られるものでもない。
 親鸞の文章を読んでむしろ奇異に感じられることは、無常について述べることが少ないということである。これはとかく感傷的な宗教のように考えられている彼の思想においてむしろ奇異の感を懐かせることであるが、しかしこれが事実であり、また真実である。そしてそこに彼の思想の特殊な現実主義の特色が見出されるのである。
 もとより諸行無常は現実である。そしてそれは仏教の出発点である。この世における何物も常住のものはない。すべては生成し消滅し変化する。かくして我々の頼みとすべき何物もないのである。生老病死は無常なる人生における現実である。かかる無常の体験が釈迦の出世間の動機であった。無常はさしあたり仏教の説ではなくて世界の現実である。常ないものを常あるもののごとく思い、頼むべからざるものを頼みとするところに、人生における種々の苦悩は生ずる。無常は現実であると知りながら、その認識を徹底させることのできないところに人間の迷いがあり、苦しみがあるのである。かくして仏教は諸行無常の自然的な感覚を諸行無常の徹底した智慧にまで徹底自覚せしめようとするのである。かくして諸行無常はいわば前仏教的な体験から仏教的な思想にまで高められる。人間の現実を深く見詰め、仏教の思想を深く味わった親鸞に無常感がなかったとは考えられない。しかも彼はこの無常感にとどまることができなかったのである。何故であるか。
 無常感はそのものとしては宗教的であるよりも美的である。はかないものは美しい。美には何かはかなさというべきものがある。「あだし野の露きゆる時なく、鳥部山の烟《けむり》立ちさらでのみ住みはつるならひならば、いかに物のあはれもなからん。世はさだめなきこそいみじけれ」と『徒然草』の著者は書いている(第七段)。いつまでも生きてこの世に住んでいるということが人間のならいであったら、実に無趣味なものであろう。老少不定、我々の命がいつ終わるという規定の全くない世であるが、そこが非常に面白いのである、というのである。無常は美的な観照に融け込む。仏教は特に平安朝時代の文学においてその唯美主義と結びつき、かつこれに影響を与えたのである。かくして無常感は唯美主義と結びついて出世間的な非現実主義となった。『方丈記』の著者のごときもその著しい例である。
 これに対して親鸞はどこまでも宗教的であった。宗教的であった彼は美的な無常思想にとどまることができなかった。次に彼の現実主義は何よりも出家仏教に満足しなかった。無常思想は出世間の思想と結びつく、これに対して彼の思想の特色は在家仏教にある。無常の思想はもとより単に美的な観照にとどまるものではない。それはしかしより高い段階においても観想に結びつく。芸術的観照から哲学的観想に進む。仏教における無常の思想は我々をここまでつれてくる。しかし美的な観照も哲学的な観想も観想として非実践的である。これに対して親鸞の思想はむしろ倫理的であり、実践的である。浄土真宗を非倫理的なもののごとく考えるのは全くの誤解である。親鸞には無常の思想がない。その限りにおいても彼の思想を厭世主義と考えることはできない。
 親鸞においては無常感は罪悪感に変っている。自己は単に無常であるのではない、煩悩の具わらざることのない凡夫、あらゆる罪を作りつつある悪人である。親鸞は自己を愚禿《ぐとく》と号した。「すでに僧にあらず俗にあらず、このゆへに禿の字をもて姓とす」といっている。承元元年、彼の三十五歳のとき、法然ならびにその門下は流罪の難にあった。親鸞もその一人として僧侶の資格を奪われて越後の国府に流された。かくして、すでに僧にあらず、しかしまた世の生業につかぬゆえ俗にあらず、かくして禿の字をもって姓とする親鸞である。しかも彼はこれに愚の字を加えて自己の号としたのである。愚は愚癡《ぐち》である。すでに禿の字はもと破戒を意味して
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