さんに、御報恩のために、御念仏こころにいれてまふして、世のなか安穏なれ、仏法ひろまれとおぼしめすべしとぞおぼえさふらふ。」この言葉は普通に解釈されているごとく王法為本の思想を現わすものと見ることができるであろう。しからば仁義為先についてはいかがであるか。仁義の思想は言うまでもなく儒教に出づるものであって、わが国においても儒教の流伝とともに国民道徳の基本となったのである。しかるに『教行信証』化巻には『論語』が引用されている。『論語』は、幾多の書からの引用文から成っている観のある『教行信証』に引用されている唯一の外典である。このことは親鸞がいかに論語を重んじていたかを示すものであろう。したがって彼は世間の法については論語によるべきことを教えたと解することができる。
 さて論語からとられた文は、「季路問、事鬼神。子曰。不能事。人焉能事鬼神。」であり、「季路とわく、鬼神につかえんかと。子のいわく、つかうることあたわず、人いずくんぞよく鬼神につかえんやと。」と読ませている。しかるに『論語』「先進篇」(第十一)ではこの文は「季路問事鬼神。子曰。未能事人。焉能事鬼。」であり、「季路、鬼神につかうるを
前へ 次へ
全78ページ中72ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
三木 清 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング