の法門にいるといへども、真なるものは、はなはだもてかたく、実なるものは、はなはだもてまれなり。偽なるものは、はなはだもておほく、虚なるものは、はなはだもてしげし。」
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と批判せられるのである。
もとよりかくのごとき種類の人間にも弥陀は手をのべる。「すでにして悲願います、修諸功徳の願となづく。」これが第十九願である。ここに得られる往生は「双樹林下往生」と呼ばれている。双樹は沙羅双樹であって、釈迦は拘尸那《クシナ》城外の沙羅双樹の下で涅槃に入ったと伝えられる。双樹林下往生というのは自力修善の人々の往生をいうのである。しかしこの願の本旨は臨終現前とか来迎引接とかにあるのであろうか。そこにさらに何かより深い意味があるのであろうか。我々の思惟し得る限りにおいては、みずからあらゆる善行を励み、これを差し向けて浄土に往生しようとすることは、理の当然であって、それが究極のものである。これ以外に往生の道はないはずである。しかしながら、もしそうであるとすれば、はたして我々は実際に善を修めているのであるか。深く省みれば省みるほど自己の無力を歎ぜざるを得ないであろう。もとよりある者は
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