れ仏をえたらんに、十方の衆生、菩提心をおこし、もろもろの功徳を修し、心を至し発願して、わが国に生ぜんとおもはん、寿終のときにのぞんで、たとひ大衆と囲遶して、その人のまへに現ぜずば、正覚をとらじ。」
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この文によってこの第十九願は「修諸功徳の願」と名づけられており、「万行諸善」というはこれを指している。弥陀の本願は生の現実に徹入する。この願、詳しく言えば、道心をおこし、これを成就させるためにもろもろの善行を修め、かくして至心をもって発願し、その修めるところの善行をもってわが浄土に往生しようとする衆生があるとき、その人の臨終にもし観音勢至らの大衆とともにその人の前に現われて来迎しないならば、――そこでこの願は臨終現前の願、現前導生の願、来迎引接の願ともなづけられる――われは正覚を聞かないであろうという、弥陀の誓いは、現実にかくのごとき人間の存在することを現わしている。本願はつねに歴史的現実(機)に相応するところの衆生済度の愛の願いである。ひとは邪道を離れて仏門に入る。そのとき彼がまず為そうとすることは何であるか。もろもろの善を行ない、もろもろの功徳を積むことである。
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