が、自身は何ら新しい宗派を立てる意図も自覚も有しなかった。「故聖人のおほせには、親鸞は弟子一人ももたずとこそおほせられ候ひつれ、そのゆへは、如来の教法を十分衆生にとききかしむるときは、ただ如来の御代官をまうしつるばかりなり、さらに親鸞めづらしき法をもひろめず、如来の教法をわれも信じひとにもをしへきかしむるばかりなり、そのほかはなにををしえて弟子といはんぞとおほせられつるなり。」と蓮如は書いている。親鸞にとってはただ伝統が問題であった。しかもこの伝統は彼にとって生死を賭けた絶対的なものである。『歎異鈔』には次のごとく記してある。「親鸞にをきては、ただ念仏して、弥陀にたすけられまいらすべしと、よきひとのおほせをかうふりて、信ずるほかに別の子細なきなり。念仏はまことに浄土にむまるるたねにてやはんべるらん、また地獄におつる業にてやはんべるらん、総じてもて存知せざるなり。たとひ法然上人にすかされまいらせて、念仏して地獄におちたりとも、さらに後悔すべからずさふらふ。そのゆへは、自余の行もはげみて、仏になるべかりける身が念仏をまうして、地獄におちてさふらはばこそ、すかされたてまつりてといふ後悔もさふ
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