歴史の現在の現実においてその真理性の証明を与えられている。この歴史観は歴史の過程をいかに描いているか。『末法燈明記』には次のごとく記してある。「問ふ、もししからば、千五百年のうちの行事いかんぞや。答ふ、大術経によるに、仏涅槃ののち、はじめの五百年には、大迦葉らの七賢聖僧、次第に正法をたもちて滅せず、五百年ののち、正法滅尽せんと。六百年にいたりて、九十五種の外道きほひおこらん。馬鳴、世にいでて、もろもろの外道を伏せん。七百年のうちに、竜樹、世にいでて、邪見の幢《はた》をくだかん。八百年において、比丘縦逸にして、わづかに一二、道果をうるものあらん。九百年にいたりて、奴を比丘とし、婢を尼とせん。一千年のうちに、不浄観を聞〔欄外「開?」〕かん、瞋恚《しんい》して欲せじ。千一百年に、僧尼嫁娶せん、僧|毘尼《びに》を毀謗《きぼう》せん。千二百年に、諸僧尼らともに子息あらん。千三百年に、袈裟変じて白からん。千四百年に、四部の弟子みな猟師のごとし、三宝物を売らん。ここにいはく、千五百年に拘※[#「目+炎」、408−上−9]弥《コーシャンビー》国にふたりの僧ありてたがひに是非を起してつゐに相殺害せん。よ
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