修め難く、入り難い。「末法のなかにおいてはただ言教のみありてしかも行証なけん。」というのは、その法が時機不相応の聖道の教であるためであり、かかる時こそ浄土の教のいよいよ盛んになるべきときである。「ひそかにおもんみれば、聖道の諸教は行証ひさしく廃《すた》れ、浄土の真宗は証道いま盛なり」と親鸞は記している。
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 道綽によれば、聖道の修業は、第一に大聖を去ること遙遠なるが故に、第二には理深く解微なるが故に、成就しがたいのである。『安楽集』上三十八丁。
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 ところで浄土他力の教が[#「浄土他力の教が」は底本では「※[#「冫+争」、413−下−19]土他力の教が」]末法時に相応する教であるとすれば、そのことはまさにこの教を相対的なものにすることになりはしないであろうか。実際、聖道の諸教は、それが単に在世正法の時にのみ相応して、像末法滅の時には相応しないという故をもって、単に相対的なものと見られ、方便の教に過ぎないと考えられたのである。親鸞は教の歴史性を強調した。これは歴史主義であり、歴史主義は一個の相対主義ではないか。他力の教がもし相対的なものであるとすれば、それはもはや真実の教であることができぬ。真理は、真実の教は絶対性を有するのでなければならぬ。他力教の絶対性はいかに示されているのであるか。そしてその絶対性はその歴史性といかにして矛盾することなく、かえって一致するのであろうか。
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像末五濁の世となりて
釈迦の遺教かくれしむ
弥陀の悲願ひろまりて
念仏往生さかりなり
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『正像末和讃』の首《はじ》めには次の讃歌が掲げられてある。
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弥陀の本願信ずべし
本願信ずるひとはみな
摂取不捨の利益にて
無上覚をさとるなり
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この一首は康元二年二月九日夜、夢告に成るものである、と親鸞はみずから記している。時に彼は八十五歳であったが、夢にこの和讃を感得したことが『正像末和讃』一帖の製作の縁由となったのである。このことは末法の自覚と浄土教の信仰とが彼においていかに密接に結びついていたかを示すものであろう。末法の自覚は罪の自覚であり、罪の自覚は弥陀の本願力による救済の自覚であった。
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無明長夜の燈炬なり
智眼くらしとかなしむな
生死大海の船
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