洋哲学との間に通路を開くことによって全く新しい日本的哲学を作られたのである。

        四

 西田先生は、世事に疎《うと》いいわゆる哲学者ではない。人生の種々の方面について先生が深い理解を持っていられるのを知って驚くことがしばしばある。殊に停年で大学を退かれて以来、義務的な負担が軽くなったせいもあろうか、先生は社会の問題や政治の問題についてよく話されるようになった。鎌倉に別荘が出来てから、先生は夏と冬の数カ月をそこで過されるのであるが、お訪ねすると、先ず話に出るのは時局のことである。いつも哲学の問題に頭を突き込んでいられる先生としては、せめて人に会った時には哲学を離れて他の事柄について話したいという気持にもなられるのであろう。しかし先生が時事問題を論じられるのは単なる傍観者としての態度ではない。先生の話は次第に熱を帯びてくる。すると先生は袖をまくしあげて論じられるという風で、その口吻には何か志士的なものさえ感じられる。先生は明治時代の善いものを持っていられるのだな、と私は感じるのである。時事問題に対する先生の観察と批評は鋭くて、正鵠《せいこく》を得ているものが多いと思う。近衛
前へ 次へ
全21ページ中19ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
三木 清 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング