公や木戸侯は先生の学習院時代の教え子であるためであろう。氏等が重臣のポストにつかれて以来、先生の時局に対する関心はいよいよ深くなったようである。例の調子で近衛公や木戸侯などの人物をずばりと批評される言葉もなかなか興味があるが、老いてなお青年のような若さをもって国を憂えていられる先生の熱情に対しては頭がさがるのである。
 先生はいろいろなことに関心と理解とを持ちながら、つねに一つのものを追求されてきた。先生には道草を食うことがなかった。その随筆など立派なものであるが、そのような才能を持ちながら、先生は滅多に随筆を書かれることがない。お目にかかるといつも「まだまだこれからだ」と云われる。こうして先生は倦《う》むことなくいちずに一つのものを追求されている。私など道草ばかり食っている者は恥しい次第である。先生から戴《いただ》いた軸に先生の歌を書いたものがある。
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あたごやま入る日の如くあか/\と燃し尽さんのこれる命
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という。先生の心情がよく写されていると思う。



底本:「読書と人生」新潮文庫、新潮社
   1974(昭和49)年10月30日発
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