思われるのである。先生は痩《や》せてはいられるが、なかなか精力的で、七十歳を越えられた今日でも、客と一緒に出された菓子や果物をぺろりと平げられ、茶をがぶがぶと飲まれる。あの強い精神力を示す執拗《しつよう》な思索のうちには何かこのような肉体的なものがあり、それが先生の文章の迫力ともなっているのではないかと思う。滅多に外に現わされることはないが、先生は恐らく喜怒愛憎の念が人一倍烈しい方のようである。否、そのような情念の底に更に深く、先生の心の奥には厚い厚い闇があるのではないかと思う。先生はよく「デモーニッシュなもの」ということを云われる。これは先生において哲学上の単なる概念ではなくて深い体験である。先生の魂の底にはデモーニッシュなものがあり、それが先生を絶えず思索に駆り立てている力である。思索することが原罪であるということを先生は深く深く理解されているのではないかと思う。先生の哲学はその闇を照し出そうとする努力であり、その闇の中から出てくる光である。その闇が深ければ深いほど、合理的なものに対する要求も烈しいであろう。先生の哲学は単なる非合理主義でないと同様、単なる直観主義でもない。それは飽
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