くまでも合理的なもの、論理的なものに対する烈しい追求である。闇の中へ差し入る光は最も美しい。先生の哲学の魅力も、先生の人間的魅力も、この底知れぬ闇の中から来るのである。四高の教授をしていられた時代、先生はずいぶんロシヤの小説を読まれたように聞いている。今でも先生はドストイェフスキーが好きで、深く共鳴されるものがあるようである。それは単なる神秘主義ではない。先生のいわゆる「歴史的物質」の問題である。
三
先生が論文を書かれる時には、毎日きまって朝の間に二三枚ずつ書いてゆかれるということである。それは長篇作家が小説を書いてゆく仕方に似たところがある。実際、先生は創作家と同じような気持で論文を書かれるのではないかと思う。毎日きまって少しずつ書いてゆかれる先生の論文はまた先生の思索日記でもある。それには始めがないように終りもない。先生の書物は、第一章、第二章という風に出来ている普通の書物とは全く趣を異にしている。嘗て先生はそのように第一章、第二章という風に区分されるような本を書かれたことがなく、書かれるものはみな論文である。その論文が集まって一冊の書物が出来る。しかしそれ
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