する。そして同じ仕方で、客観的完全性、あるいは客観的技巧、等々、と言われることができる。というのは、観念の対象のうちにあるもののように我々が知覚するあらゆるものは、観念そのもののうちに客観的にあるのであるから。
四 同じものは、それが観念の対象のうちに我々がそれを知覚する通りに現われている場合、観念の対象のうちに形相的に[#「形相的に」に傍点](formaliter)あると言われる。また、その通りにではないが、かえってこれを補うことができるほど大きなものである場合、優越的に[#「優越的に」に傍点](eminenter)あると言われる。
五 我々が知覚する或るもの、言い換えると、その実在的な観念が我々のうちにある或る固有性、あるいは性質、あるいは属性が、それのうちに直接に内在する基体(subjectum)、あるいはそれらを存在せしめるあらゆるもの(res)は、実体[#「実体」に傍点](substantia)と呼ばれる。また厳密な意味における実体そのものについて我々は次のごとき観念しか有しない。すなわち、実体とは、我々が知覚するところの或るものが、つまり我々の観念のいずれかのうちに客観
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