いて、数について、運動について、及びこれに類するものについて、無数の特殊的なものを知覚するのであって、その真理は極めて明瞭であり、また極めて私の本性に適合しているので、それを私が初めて発見するとき、或る新しいことを学ぶというよりはむしろすでに私が知っていたことを想起するかのごとくに思われる、言い換えると、夙《つと》に確かに私のうちに存したが以前にはそれに精神の眼を向わせなかったところのものに、私が初めて注意するかのごとくに思われるのである。
そしてここに最も注目すべきことと私の考えるのは、たとい私の外にたぶんどこにも存在しないにしても、無であるとは言われ得ない或るものの無数の観念をば私が私のところで発見するということである。かかるものは、たとい私によって或る意味で随意に思惟せられるとはいえ、私によって構像せられるのではなく、かえって自己の真にして不変なる本性を有しているのである。かくて、例えば、私が三角形を想像するとき、たぶんかような形体は私の思惟の外に世界のうちどこにも存在せず、またかつて存在しなかったにしても、それには確かにそれの或る限定せられた本性、すなわち本質、すなわち形相が
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