たところのあるのは面白いことです。ハイデッゲルがフッサールのフェノメノロギーから新しく踏み出さうとする出発点、この努力の目差してゐる方向を辿つてみることは私には非常に興味のある仕事でありますが、他の機会を待つことにいたしませう。
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 外国へ来た者の恐らく誰もがぶつつかるのは「言葉」と云ふひとつの不思議な存在です。日本にゐるときには外国の書物を読んでも、言葉は思想の符号或ひは伝達器であると云ふぐらゐの気持しか実際私には出て来ませんでした。ところが、こちらへ来て少しでも外国語の「言葉の感じ」が呑み込めるやうになると、私はひとつの言葉の中に生きてゐる“Genie”[#このダブル引用符はそれぞれ逆向きで、始めの方は下付]と云つたものに気が附くのです。そして私は今更ながら言葉と存在との間の密接な関係を思はずにはゐられません。前に云つたやうに、私が眼を開いてひとつの「机」を見るときにも既にひとつの interpretatio が行はれてゐるのであつて、机と云ふ言葉は私の眼の前に現はれてゐる存在の意味を現はす[#「意味を現はす」に傍点]はたらきをしてゐるのです。若し言葉がその表現の様々な
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