ながらかの Sache とは一体何物なのでせうか。
ハルトマンのことを書いて思はず長くなつた私は、ハイデッゲルに就いては簡単な報告だけにとどめておかねばなりません。彼は最初リッケルトの弟子であり、後にはリッケルトを離れてフッサールに就き、今はまたフッサールに対しても批評的となつて、むしろディルタイなどの考へを進めてゆかうとしてをるやうに見えます。或る日私がリッケルトと話しましたとき、リッケルトが「ハイデッゲルは非常に天分の豊かな男であるから、彼の思想はこれから後もまだまだワルデルンするでせう」と云つたのを覚えてゐます。今の独逸に於ける唯ひとりのアリストテレス学者として、中世哲学に深い理解のある人として、ハイデッゲルを推す人はかなり多いやうです。それは例へばギリシア哲学史家のホフマンからも、言語学者フリードレンデルからも私が直接に聞いたことです。ハイデッゲルは殆どあらゆる点でハルトマンの反対をなしてゐます。貴公子然たるハルトマンに対してハイデッゲルは全くの田舎者です。無骨で、ぶつきらぼうで、しかもねばり強いことは、講義にも演習にも現はれてゐます。しかしそれと共になかなか利口で、気の利い
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