ながらこの厳しい、堂々として構へが凡てひとつの機《からくり》の上に出来てゐるやうに私には感じられるのです。――若し貴方がこの書物を既に読んでいらつしやるならば、私の謂ふ機が何であるか、直に思ひ当られることと存じます。――彼は無造作に本体論や形而上学の成立の可能性と必要性とを説きます。認識は Erzeugen ではなく、 Erfassen である。認識が把捉であるならば、把捉さるべきものが凡ての認識の前にそれから独立に成立してゐねばならず、そしてこのものは本体論的、形而上学的なものであるとハルトマンは云ひます。若しこの前提が正しかつたならば、本体論の成立の必然性も極めて手軽に証明の出来ることであるに相違ありません。しかし認識が把捉であると云ふことそのものが私たちには最も疑はしいことなのです。あらゆる立場の此方にあらうとする彼の哲学は、彼の所謂[#「所謂」に傍点]現象学に於いて現象の分析によつて、認識が実際に把捉であることを示さなければなりません。けれどそこで彼が事実行つてゐることは悉く認識は把捉であると云ふことを前提とした上での認識概念[#「概念」に傍点]の分析であつて、この前提そのものは、何cmも具体的に示されてゐないと思ひます。かう云へばハルトマンの哲学は、この現象は我々の natu[#この「u」はウムラウト付き]rliche Einstellung に於ける認識の場合にはいつでも存在するものである、と恐らく答へるでせう。なるほど認識が把捉であると云ふことは私たちが自然的立場に於いて考へてゐることでせう。しかしながらそれは自然的立場に於ける抽象的な[#「抽象的な」に傍点]考へ方の上でのことであると思はれます。丁度それは私たちが認識に於いて最初現はれるのは感覚であると云ふのと同一の平面に於ける考へ方です。感覚が認識の最初のものであるとみるのは既に抽象的なことです。私が今眼を開くとき見るのは具体的な机であつて、黒の感覚ではありません。同じやうにそのとき私が考へるのは、むしろ直接に見る[#「見る」に傍点]ことは「机が現はれてをる」と云ふことであつて「私が机を把捉する」と云ふことではありません。そのときまた同時に[#「同時に」に傍点]私は私の前に自己を現はしてゐる存在に対して――言語学上の言葉を借りて云へば、――ひとつの interpretatio を行つてゐます。この存在を「机」として見る[#「見る」に傍点]ことが既にひとつの解釈です。それ故に存在と解釈とは唯抽象的に分つことが出来るばかりであります。この簡単な考察によつても、認識が対象の把捉であると云ふ前提は、立場の最小でなく却つて立場の最大を意味すること、特殊の立場に於ける特殊の考へ方にもとづく認識概念を本体論の予想とすることが、ひとつの冒険に過ぎないことは明かであります。歴史的に云つてもギリシア哲学には所謂 Gegenstand にあたる存在を現はす概念はなく、存在のうち第一のもの、直接なものは何よりも「プラグマ」であつたのです。プラグマと云ふのは私たちの扱ふもの、私たちのはたらきの相手となるものです。若しさうであるならば、ハルトマンが所謂現象学を論じ、所謂 Aporetik を論ずることも、つまりは宙に浮いてゐる人形を操ることになりはしないかを私は恐れるのです。アリストテレスのアポレティクは――若しこの言葉が許されるならば、――もつと深い洞察の上に立つてゐると信じます。同じ客観主義の人でもラスクなどの方が、同じ実在論的傾向の人でもキュルペなどの方が、もつと深いものをみ、もつと力強い基礎附けをやつてゐると思はれますが如何でせう。――貴方のお考へを承つた後に私はもつと詳しい批評をさせて戴くことにしたいと存じます。
それにも拘らず[#「それにも拘らず」に傍点]、何故にハルトマンが今の独逸で歓迎されてゐるか、貴方はかうお尋ねになるでせう。一夜私は数時間に亘つてひとりのハルトマンを信じる学生とハルトマンの哲学を論じ、私がこの哲学に於ける種々の困難を話しましたとき、彼は色々の答弁をした後で「それにも拘らず、ハルトマンの哲学ほど広い Horizont をもつてゐる哲学は現代にないではないか」と云ひました。折衷的であるにしても力強い統一を欠いてゐるにしても、少し仰山にものを云ふ嫌ひがあるにしても、とにかくハルトマンの哲学が広いホリゾントを目差してゐることだけは明かです。そしてこのやうに展望の広い哲学を今の若い学生は求めてゐます。複雑な経験を最近の歴史に於いて体験した来たこれらの青年のかかる要求には何の無理もないと思ひます。論理主義から一歩踏み出さうと云ふ努力や、 Sache そのものに帰れと云ふ標語は、凡て広い、大きなホリゾントを求めようと云ふ要求の現はれであるともみられるでせう。しかし
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