感じられないであろうか。ドイツのトイプネルにしてもジーベックなどにしてもそこから出る本にはそれぞれ一定の特色がある。フランスあたりの本屋にしても、こんな本は多分アシェットから出ているだろう、恐らくアルカンから出ているだろうと見当がつくぐらいである。ところが日本では或る本屋が或る形式、或る種類の本を出して成功すると、すぐ他で模倣する者が大勢出て来る。その結果つまり互に弱め合うということになる。出版においても銘々がもっと創意を貴び合うようになってほしい。その本屋から出る本は内容|装釘《そうてい》共に全体としてきちんとした一定の特色が貫いているというのが好ましいことだ。そういう色がすぐさま読者の頭に思い浮ぶことのできるようにして貰いたい。それが本屋の倫理ではないかと思う。
 善い本を繰り返して読むということは平凡な、しかし思い出す毎に身につまされる読書の倫理だ。先達てもフロベールの手紙を読んでいたら、次のような文句があったので、私はまたアンダーラインした。「作家の文庫は、彼が毎日繰り返して読まねばならぬ源泉であるところの五冊か六冊までの本から成っているべきである。その余の本について云えば、そ
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