とが書物に対する倫理である。しかしどう使うかが問題だ。
 そのような意味で誰かの文庫を調べてみると面白い。沢山に本が集めてあっても案外使えない文庫がある。それは持主が自分の文庫を使っていない証拠であり、またそれをほんとうに愛していない証拠である。尤も使う目的にも使い方にも人によって色々相違があろう。そこで或る人の文庫を見ればその人の性格がおのずから現われている。そこに文庫の倫理とでもいうべきものがある。文庫を見れば主人が何を研究しているかというようなことが分る以外に、そこに更に深いもの即ちその人の性格が自然ににじみ出ているのが面白い。本は自分に使えるように、最もよく使えるように集めなければならない。そうすることによって文庫は性格的なものとなる。そしてそれはいわば一定のスタイルを得て来る。自分の文庫にはその隅々に至るまで自分の息がかかっていなければならない。このような文庫は、丁度立派な庭作りの作った庭園のように、それ自身が一個の芸術品でもある。
 そしてこのように性格的或いは個性的であることを私は特に今日の出版業者に向って希望したい。我が国の本屋は外国の本屋に比べてどうも個性が薄いように
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