い智恵を弄して弁護し弁解しようという傲慢な心である。メフィストフェレスが人間を嘲笑《あざわら》っていった言葉、
[#ここから引用文、2字下げ、本文とは1行アキ]
Er nennt's Vernunft und braucht's allein,
Nur tierischer als jedes Tier zu sein.

(人間はあれを理性と謂ってどうそれを使うかというと、
 どの獣よりも獣らしく振舞う為めに使うのです。)
[#ここからポイントを小さくして地付き]
(ゲーテ『ファウスト』第一部二八五―六 森林太郎訳)
[#ここで引用文終わり]
は、かくのごとき弁解するこましゃくれた[#「こましゃくれた」に傍点]智恵を指していったものであろう。何故に私たちは私たちの罪を素直にそのまま受け容れることをしないで、それを見苦しい態《ざま》をしながら弁解しようなどとするのだろう。なぜ素直な心の安静をすてて傲慢な心の焦躁を求めているのだろう。自己の行為の騒々しい弁解は、それが正当になさるべき権利をもっておる場合においてすら、決して相手を十分に説服することができないばかりでなく、自分自身の心にも平和
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