知識慾の遠心力とが、ともすれば新しきもの奇らしきもの病的なるものと親しもうとする私の性格の雰囲気への耽溺と陶酔とを妨害することができた。最初はただアーヌングに導かれていた私の心が多少でも自覚的に健康なるものへ憧がれる時がきわめて緩かにやって来た。それと同時に私はその当時非常な勢いで流行していた自然主義や頽廃主義やの文学に対して反感を抱くようになって来つつあった。このときに乗じて私の哲学的要求が急に頭を擡《もた》げて来て、中学五年の末期には私を哲学志望にかえていた。あるいは事実をいうと、その時分のだらしのない私の生活が私をして自分自身を非常に嫌なものに感じさせ、私はどうにかしてその沈滞した気持から逃れなければ当然精神的に破産せねばならないような運命にあった機会を私の哲学的要求が利用して成功したのであったに相違ない。
 いずれにせよ私は文学者志望を断念した。そして運命が本能的な確かさをもって選ぶことは決して誤らない。高等学校の入学試験の準備、一高の生活、東京との接触、それらのことは一部分は必要上から、一部分は広い世界に出てたくさんの新しいものに接したという理由から私の頽廃的な生活と沈滞した
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