先生からいただいた結構な俳号の「怯詩」は、私の友だちが私を呼びかけるときの綽名としてとどまって、私はかつて自らこの号を用いたことがない。その後中学の二年の頃私は友人に頼んで「柳蔭」という号をつけて貰ったが、それも私は用いることをあまり好まなかった。私自身が本当に文学に対して要求を感じ、そして時には自分で文学者になってみたいと考えるようになったのは、やはり同じ中学二年の時国語のT先生が副科に蘆花の『自然と人生』を読んでくださった時に始るといっていい。それと同時に私の乱読時代が始った。次第に深く目覚めつつある性的に伴う憂愁の悩しい活動がそれと結合した。T先生に親しんでいた友人があるとき、私にこういった、「T先生は君をたいへん有望なものに思っている。君はきっと立派な文士になれるといつも私たちに語っている。」自分の中に動く深い憂愁がある方向を求めようとするもののように、いたずらな活動に自らを苦しめているような状態にあった私は、その言葉に動かされずにはいられなかった。それに耽読《たんどく》していた雑誌や新刊書が虚栄心を唆《そその》かさずにはいなかった。私は創作家になろうと決心した。しかしながら統
前へ
次へ
全114ページ中51ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
三木 清 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング