ればかりでなく私が私の心の奥底で考えたり感じたりしたことのほか一切を書かないという正直をさえ失わないならば、そのことがたとえ外形上の統一を破壊するにしても決して精神上の統一を破壊することはないだろう。
私の芸術的生活は無論私の哲学的生活よりずっと以前に始った。確か高等小学の一年、今の制度にすれば尋常科五年のことだったと覚えている。自分ではひとかどの俳人のつもりでいた私のクラスの担任の先生が、作文の時間に俳句の作法を例をあげたりして説明して後、生徒に句作をさせて出させたことがあった。そのとき私が書いて出した句が中で俳句らしいものになっていたと見えて、次の時間にそれを黒板に写したりなんかして、私に「あなたには確かに才能がある。これから後しっかり勉強し給え。高浜虚子という俳人がいるが、その人の名は清[#「清」に傍点]といってあなたと同じだから、あなたも同じ筆法で『怯詩』と俳号をつけてはどうか」などといった。その先生は俳号さえもてばそれでもう立派な俳人のように心得る種類の人であった。そしてその頃私は少年世界[#「少年世界」に傍点]や日本少年[#「日本少年」に傍点]の投書欄の愛読者だった。私が
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