柢へはいって行ってそれの精神を体験し得る人、哲学史上の偉大なる人たちは、起伏する波の頂点であると考えてそれの基底をなす潮流の中へ自らを沈めようとする人、そしてそれらの体験と沈潜とから得来ったものを自己の形式において生かそうとする人は、哲学に対しては選ばれたる人である。彼の胸には思想史上の天才に対する尊敬と愛とが波打っているが、しかもそれらの天才において何が永遠なるもので何が一時的なるものであるかを本能的な確かさをもって感ずることができ、しかして彼の頭脳は感得されたものに新しき統一を要求する。彼の魂は単なる客観に没頭して自己を忘れるためにはあまりに力強いのである。最後に特殊科学の究竟《きゅうきょう》的な研究は哲学への第三の道として私たちの前に開けている。一般の人ばかりでなく専門家たちが自明の真理として許容し前提する事柄をもう一度根本的に疑ってみる大胆と勇気とがある人、個々の知識に満足せずしてそれの根柢を究めようとする人は、哲学のよき学徒たる資格を十分に具えた人である。彼は子供のような無邪気さと聡明さとをもって問い、強迫観念病者のような執拗とともに明るい直観をもって研究し洞察する。彼は大地
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