なった私が最初に得たのはショーペンハウエルの哲学であった。彼の書物から来る美しいけれど悩しい旋律《せんりつ》は私の心を奪い去るに十分適していた。生の無価値にして厭《いと》うべきことを説きながら、自らは疫病を恐れて町を飛び出したり、ホテルでは数人前の食をとったり、愛人と手を携えてイタリアを旅した彼の哲学は、インド思想と共通な涅槃《ねはん》を説きながら、その基調においては悩しき青春の爛熟期の哲学である。私は幾夜彼の書の上に涙したことであろう。しかしながら私の自我は押し通されることを要求し、私の活動性は奮闘的であることを迫り、私の意志は反抗的であることを欲していたから、否定的、静退的を説くショーペンハウエルの哲学とは私は別れて行かねばならない運命をもっていた。私はいつとはなしにニイチエに移って行った。文学の方ではその頃イブセンを好んで読んでいたように思う。私はツァラツストラを説きブランドを叫び、超人をいい第三帝国を語った。いまから考えてみれば、私はその時分それらの事柄の正当な意味を捉えていなかったのであるが、私の全体の気持としっくり合うように思われたために、私はそれをかってに解釈して振り廻し
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