摯《しんし》なる労作である。私に哲学上の教養があったとするならば、それは “someone said”の哲学に関してであった。しかしながら貨幣の種類をたくさんに示し得る人が必ずしも金持ではない。
 青春の日が爛熟して行って憂愁が重い翼を私の心の上に拡げた。捉え難い寂しさは盲《めし》いたる眼で闇の中を当《あ》て途《ど》もなく見廻わそうとし、去り難い悩しさは萎《な》えたる手でいたずらに虚空を掴《つか》もうとした。日の輝く広野の嬉戯よりも薄暗い小屋の孤独を欲するような頃がやって来た。私は多勢の人の手によって軽く頭を打たれるよりも唯一人の人の手によってしっかりと抱き締められることを求めた。私の活動性がいかに自己を忘れて外なるもの新しきものに向わせようとしても、私は私の裏に感ずる悩しい自我に対して全く無頓著であることができなかった。私は明るいものよりも暗いもの、知識的なものよりも意志的なものにいっそう多くの魅力を感ずるようになった。かようにして自我に執著してすべてのものに反抗する日は来った。明確なるもの、論理的なるもの、概念的なるものに興味を失って、非合理的なるもの意志的なるものに共鳴するように
前へ 次へ
全114ページ中29ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
三木 清 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング