多く繰返されるとき、事物を素直に見る心と事物にまじめに対する態度とを失わせやすいことである。私が求める快活や微笑や戯れは、いつでも健康な生命の活動から自ら流れ出るところのものである。

     一二

 個性とは傲慢な心には知られないようなものである。それは反省のみが与《あずか》り得る知識であり、しかして反省は謙虚なる心においてのみ可能である。限りなきへりくだりをもって自己の正しき姿を観じまた他の人々を尊敬し愛するとともに、どこまでも剛《つよ》く健《すこや》かな心の活動をもって本当に自己の衷に見出されたものを維持し発展することができる人は、真に個性の何たるかを理解することができる。個性の真の認識は心理学の知識ではなくて反省の知識である。そしてそれゆえに個性の正しき認識は概念をもってしては十分に現わすことができない闇そのものに関する真理の一部分に属しておる。徒《いたずら》に外に向って内に向うことを知らない人、無暗に他人に対抗しようとして自己に還ることを忘れた人、それらの人に対しては個性の理解の扉は堅く閉されておる。なぜならば真に自分自身を理解しない人が他人の個性を理解し得ようなどとはと
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