柢へはいって行ってそれの精神を体験し得る人、哲学史上の偉大なる人たちは、起伏する波の頂点であると考えてそれの基底をなす潮流の中へ自らを沈めようとする人、そしてそれらの体験と沈潜とから得来ったものを自己の形式において生かそうとする人は、哲学に対しては選ばれたる人である。彼の胸には思想史上の天才に対する尊敬と愛とが波打っているが、しかもそれらの天才において何が永遠なるもので何が一時的なるものであるかを本能的な確かさをもって感ずることができ、しかして彼の頭脳は感得されたものに新しき統一を要求する。彼の魂は単なる客観に没頭して自己を忘れるためにはあまりに力強いのである。最後に特殊科学の究竟《きゅうきょう》的な研究は哲学への第三の道として私たちの前に開けている。一般の人ばかりでなく専門家たちが自明の真理として許容し前提する事柄をもう一度根本的に疑ってみる大胆と勇気とがある人、個々の知識に満足せずしてそれの根柢を究めようとする人は、哲学のよき学徒たる資格を十分に具えた人である。彼は子供のような無邪気さと聡明さとをもって問い、強迫観念病者のような執拗とともに明るい直観をもって研究し洞察する。彼は大地の堆《うずたか》い堆積や限なき永劫《えいごう》よりも一瞬の間にせよ闇黒の深さを破って輝く星の光を愛することを知っている。太初《はじめ》にあり、神と偕《とも》にあり、そしてすなわち神であるロゴスこそ彼がすべてのものを棄ててまでも求め出そうとするところのものである。しからばこれらの三つの道に共通なるものは何であるか。私は哲学に対して起りやすい二つの疑問に答え、また哲学についてコいがちな二つの誤解を正すことによって、この問題は適切に解決されるのではないかと考える。人々はいう、一体哲学などというものがあり得るか、あるとしてもそれは要するに空中楼閣に過ぎないのではないかと。いかにもそのとおりである。その体験が反省的な根強さも深さももっていない人、哲学史の知識を自己の博学を矜る具に供したり社交場裡の話柄に用いたりして得意気に満足しておる人、ないしは特殊科学の知識を単に実用に役立てる利口な人やもしくはどこまでも専門学者としてとどまろうという人、それらの人々にとっては実際哲学がないのが事実であり、またそれが空中楼閣に過ぎないかのごとく見えるのが当然である。哲学は知られるものでもなければまた教えられるものでもない。哲学はただ実際にフィロゾフィーレン(哲学思索)する人、事実哲学に生き哲学を生きた人にとってのみ存在する。厳密な論理を辿る学問でありながら他の特殊科学と異なる特質、もしそれに含まれやすい誤解を除いて考えるならば、哲学があらゆる学問の王であるゆえんは、実にこの点に存するのである。さらに他の人々は気遣わしげに問う、哲学が論ずるような普遍的なもの、論理的なものはわれわれの人生には没交渉でありなんらの影響をも与えないものではないかと。これもまた疑われるとおりである、もし彼が現実についての反省されない粗雑な観察や認識に満足してそれの根柢を究めようとしないとき、事実経験され感受されるもの以上に超越しようとする要求をもたないとき、彼にとっては論理的、普遍的を取扱う哲学は、むしろ有害なものであるか、高々無聊なる時間をやる閑事業であるかに過ぎないであろう。しかしながらこれに反して自分自らフィロゾフィーレンする人、すなわち論理的なるもの、普遍的なるものに関して苦しく力強き思索に実際生きた人にとってはこれらの疑問ほど無意味なものはない。彼らにとってはかかる論理的なるもの普遍的なるものこそ人生を生きるために、いやしくも人生を正しく深く美しく生きるためにはなくてはならぬものである。イデーに生きまたイデーを生かそうとする生活、イデーの力に対する希望と信頼、そこに哲学的生活の本質はあり、そしてかかる哲学的生活からのみ真の哲学は誕生する。真理の勇気と精神の力の信仰とは、へーゲルがいったように哲学の第一の条件である。
以上の二つの疑問に答える共通な一つの答、すなわち自らフィロゾフィーレンせよということは、以下の、前にあげた疑問に対応もしくは対立する二つの誤解を防ぐためにも十分であるであろう。私がここにいう二つの誤解の第一のものは、哲学をたいへんに高遠で深邃《しんすい》なことと考えて、かような哲学をちょっとでも齧《かじ》ることを非常に偉大なことと心得て思いあがる人々に属するものである。人々が幽玄とし迂闊とする哲学を知っておくことは自己を他の人々から標異せしめ、自己の虚栄心を満足させるために最もつごうのいいことだと彼らは考える。あるいは彼らは哲学の秀れた点は主として人々が高遠とし深邃として遠ざけるちょうどその点にあると思惟する。けれども哲学の貴い点はそれが自己の外に尋ね求められるものでなく、
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