て、わずかばかりの回顧をなしておく必要があるように思われる。

     四

 全体の傾向からいうと私は決して世のいわゆる懐疑的ではない。私を懐疑的から遠ざけた第一のものは、私の友だちが私をよぶにしばしば用いた「エネルギッシュ」ということであった。人並以上の頑健な体格を恵まれ、かつて一度も病気と名づけられるほどの病気をしたことのない私の中には、元気が横溢して絶えざる活動を私に迫った。私は数人前の食事をすることができた。ゲーテは幾人もの友だちに次から次へとつき合って食事したといわれているが、この点では私も決してゲーテに劣らなかった。私はわずかの睡眠で済ますことができた。中学時代の頃私は別に必要に迫られているわけでもないのに、月に一回は徹夜して読書することに決めていたことがあった。私は私の精力を主として散歩と読書とに費した。私は大抵の人には負けずに歩くことができたし、読書の量もふつうの人に劣らなかった。精力はあり、知識慾は人一倍強く、それに虚栄心や野心も盛んであった私は、学問のあらゆる分科にわたって手当り次第に新しきものを求めた。しぜん私は吸収に没頭して消化の方面を顧みなかった。こうした外向的な活動に専念している人に懐疑の起る余裕のあるはずがない。時に疑いを生ずることがあっても、私は私が接するであろう新しき思想、新しき書物によって解決され得るものと漠然と考えて、これを自らに求めて解決しようなどとはしなかった。私は殆んど本能的な活動慾に駆られて私の目の前に現われる何物にでも手を動かした。その頃の私はちょうど執拗な鈍痛を頭に覚える男がそれを鎮めようとして無暗に頭をぶっつけ廻るようなものであった。内省の余裕のない限りない活動には懐疑に伴うような憂鬱は随ったが懐疑そのものは含まれていなかった。私も他の人もこのあくことを知らない活動を包む本能的な憂鬱をみて私を懐疑家であると思い誤っていたらしい。精力の過剰に悩む人の雰囲気を作っている暗くて寂しい陰影は、けれども、病弱なそしてひねくれた心に起りがちな懐疑に伴う淡いけれど鋭い感じのする憂愁でもなければ、またそれは正しき懐疑に随う安けさと静けさとを含んでもいない。
 私はいま何が正しくそして何が誤っているかをはっきりと見定めることができるように思う。はたらくということ、そこにはなんらの非難さるべき誤りもない。人生の本質、一般に実在の本質は活動にある。それゆえにあるものが偉大なる力を発揮してはたらけばはたらくほど、そのものの実在性と価値とは大である。まことに眠れる獅子は吠ゆる犬に及ばない。誤りはその活動が正しき方向に向ってまたにおいて行われないというところに存する。誤っているのは活動そのものではなくして理想のない盲目的な活動である。頭で認識するよりも心で確信することがさらに大切であること、自己の良心で判断してみないことは無暗に受容したり排斥したりしないこと、虚栄心や名誉慾やは決して正しき真理に導かずしてただ真理に対する恐れざるしかしてやさしき愛のみがそれをなすこと、これらの点を体認して、外向的よりもむしろ内向的活動がいっそう重んずべきものであることを知っている人にとっては、活動はそれが大であればあるほどよき活動である。かようにして活動が理想の光によって照らされるとき、陰鬱な気持は晴れて快活となり、宿命的な感じは退いて自由創造的となり、悩しき反抗はやさしき抱擁に道を譲るのである。正しき懐疑はすべての否定であるがゆえに、それは絶大なる活動である。自己の魂のすべてをあげての奮闘である。けれどふしぎにもそこには傲《おご》り高ぶる心がなくしてへりくだるやさしき心がある。
 第一のものと関連して私を懐疑的から遠ざけたものは私の反抗する心であった。私は剛情で片意地であった。それに悪いことには少しばかりの才能を持合せていたので、私は多くの人に起るように何にでも反対したり反抗したりして自己の才能を示そうとした。私は自分の意志することはなんでも成遂げられると信じていた。そして私は私の注目に値したすべての種類の人になることを次から次へと空想して行った。政治家、弁護士、法律学者、文学者、批評家、創作家、新聞記者、哲学者……。ただ私が初めからなってみようと思わなかったことが二つあった。それは商売人と軍人とである。後に私の反抗は習慣的になってしまって、なんらの動機もなく、またなんらの理由もなしに、ただ無暗と人に反対したり喰ってかかったりした。私はそうしたあとで本当にやるせない寂しさの中に自己の醜悪を感ずるのであったが、習慣から脱することは他から考えられるほど容易なことではなかった。私はあたかも傷ついた野獣のような姿をして、ただなんでもいいから自己を通そうとした。私の友だちは私のこの性質を「押しが強い」と名づけた。反抗は外に向
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