知識慾の遠心力とが、ともすれば新しきもの奇らしきもの病的なるものと親しもうとする私の性格の雰囲気への耽溺と陶酔とを妨害することができた。最初はただアーヌングに導かれていた私の心が多少でも自覚的に健康なるものへ憧がれる時がきわめて緩かにやって来た。それと同時に私はその当時非常な勢いで流行していた自然主義や頽廃主義やの文学に対して反感を抱くようになって来つつあった。このときに乗じて私の哲学的要求が急に頭を擡《もた》げて来て、中学五年の末期には私を哲学志望にかえていた。あるいは事実をいうと、その時分のだらしのない私の生活が私をして自分自身を非常に嫌なものに感じさせ、私はどうにかしてその沈滞した気持から逃れなければ当然精神的に破産せねばならないような運命にあった機会を私の哲学的要求が利用して成功したのであったに相違ない。
 いずれにせよ私は文学者志望を断念した。そして運命が本能的な確かさをもって選ぶことは決して誤らない。高等学校の入学試験の準備、一高の生活、東京との接触、それらのことは一部分は必要上から、一部分は広い世界に出てたくさんの新しいものに接したという理由から私の頽廃的な生活と沈滞した気分とを一新させ、私が強《し》いてまで求めていた世紀末の懐疑と頽廃とへの陶酔の余裕を奪ってしまって、私が正しき自覚に到達する準備をした。哲学的学科への没頭は私によき反省の機会を与えた。高等学校の寮生活は、最も感謝すべきことには私の浪曼的を解放させて、英雄的なるもの、剛健なるものに対する崇拝とともに非現実的なるもの、夢幻的なるものに対する憧憬を自由にのばしてくれた。私は初めて高踏的なもしくは超越的な気持を味った。どん底へ落ちてみようという心がいつしか非凡なもしくは夢幻的なものへの憧れに変って行った。センチメンタリストの涙が英雄的なものに感激する涙となった。小さい自我の周りに垣を作ってその中に蟄居《ちっきょ》しようという心が、自己の中にある積極的なあらゆるものを自由に伸して湧き上る生命の泉に躍入ろうとする心に移って行った。要するに健康なるもの、自由なるもの、生命的なるものの豊かさに私は初めて目覚めさせられたのだといっていい。私はこれらのすべてに関して心からの感謝を一高に捧げる。やがて価値の転換と概念の改造とがすばらしい勢いで行われる時がやって来た。かつて新しいと考えられたものがかえって古い
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