己批判的であるに反して、彼らは独断論者である。彼らは自己の思想を絶対化し、永遠化する。彼らはおそらく人類歴史のなお端緒にある者であり、したがって今後彼らの思想を訂正するであろう人間は、彼ら自身がその思想を訂正した人間に比し、その数において比較にならぬほど多いであろう、ということを彼らは思ってみない。思想の危機の叫びをもって我々に向って来るのはいつでもこのような独断論者である。しかるに独断論とともに我々は純粋に理論的な領域から他の領域へ移されているのを見出す。我々は独断論が本質的には理論的な立場でないことを発見するであろう。純粋に思想する者である限り、何人も自己批判的ならざるを得ない危機に際して、思想の危機の問題に関して何故にかくも独断論者がなお存在するであろうか。

 私はこれまで思想を主として真偽という方面からのみ考察して来た。真理と虚偽は、哲学上の用語法に従うならば、思想の「価値」である。あたかも美醜が芸術に属する価値であり、善悪が道徳のになう価値であるように、真偽は思想の有する価値である。しかもそれはこのものにのみ固有な価値である、と哲学者は考えている。したがって或る思想は真であ
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