総じて真理が矛盾を媒介として発展する生命であることを把握しない者、かくのごとき人々は、自己の思想に反対し、対立する思想の現われるとき、それはただ彼の思想にとってのみ危機であることを忘れて、かえってそれが一般に思想そのもの、真理そのものの危機であるかのごとく見なし、いたずらに思想の危機を叫ぶのである。彼らにとって否定は単なる否定であり、矛盾は単なる矛盾の意味しかもたない。彼らは抽象的思惟に固着して言う、真理は真理であり、虚偽は虚偽である。そして彼らは他人だけが誤謬と錯誤に陥る者であって、自分はこれに反して最後究極的な、絶対決定的な真理の所有者であると考えている。このような人々が、自己の思想に矛盾する思想に出会ったがために、思想の危機を叫べば叫ぶほど彼らは思想そのもの、真理そのものをいよいよ抽象的ならしめ、非実現的ならしめ、かくてそれの生命を奪って死滅せしめるのである。思想そのもの、したがって彼ら自身の思想をも危機に沈ませる者は、思想の危機を単なる危機と見ることしかできぬ彼らである。思想の本質的なる相対性を認識している者こそかえって思想の生命の発展の絶対性を肯定する者である。かかる人間が自
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