念から歴史概念への移動乃至転化ではなかつたのである。古典的といふこともそれ自身の意味における自然概念を基礎とするのであつて、このことはギリシア思想とキリスト教思想とを対照することによつて明瞭に理解されよう。然しながら、もしまたゲーテが汎神論者であつたとすれば、汎神論はまさに汎神論として、その基礎の上では自然と歴史とは鋭い対立をなし得ず、却て両者は連続的融合的に考へられるのほかないから、たとひ彼がいはゆる自然汎神論者であつたとしても、彼はなほ或る仕方で歴史に対するつながりを有することができたであらう。丁度、反対に歴史汎神論者といはれるヘルダーが、歴史において特に自然的要素を重要視し、現代の人文地理学の発達を促すこととなつたやうに、自然汎神論者といはれるゲーテが今日、自然科学に対してよりも却て歴史学に対して特殊な、顕著な影響を及ぼしつつあるといふことは、興味がなくはない。ゲーテにおける自然概念は、その青年時代のルソオ的な自然概念から、古典的な自然概念を経て、晩年における最も含蓄的な自然概念にまで発展した。とりわけ彼はその晩年深い情熱をもつて自然研究に従事した。そして歴史学が今日ゲーテに負ふ
前へ
次へ
全62ページ中9ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
三木 清 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング