方法上の新しきものは、特に彼のこの時期の自然哲学的研究のうちに含まれてゐる。さうだとすれば、少くとも彼の晩年の自然概念には歴史と内面的に交渉する或るものがあつた筈である。我々はこのやうな自然概念の特殊性のうちにそれの歴史に対する特殊な関係を見なければならない。それによつて我々はゲーテが単なるスピノザ主義者にとどまらなかつたことを知り得るであらう。代表的な自然汎神論者たるスピノザは歴史に対して何等の関係をも含まないに反し、ゲーテには歴史への通路が開けてゐた。然しそれにも拘らずゲーテにおける根本概念が依然として自然であつて歴史でなかつたことを考へるならば、そこにはまた或る制限と限界とが存するのでなければならぬ。
かくてゲーテは歴史に対し一面親和的に他面敵対的に、両重の関係に立つてゐたといふことが推察されよう。既にゲーテと歴史の問題は、単純にゲーテにおける歴史の問題であり得ず、却てゲーテにおける「自然と歴史」の問題でなければならない。そして我々の研究はおよそ次のやうな意味を有するであらう。一、我々はそれによつて現実的な歴史的意識が相矛盾する二つの契機を含む弁証法的構造のものであることを示す
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