の就中《なかんずく》二つの感情であつた。――過去[#「過去」に傍点]のうちへ忍び入る追憶、それの魅惑的な月光に、ひとは心を傾け尽した。未来[#「未来」に傍点]のうちへ尋ね入る憧憬《しょうけい》、ひとは青い花を求めて限りなくさまよひ、そして決して目的に達することがない。
然るにかかる浪漫的な時間の感情は、他の方面から考へるとき、それ自身また非歴史的であつたであらう。それは何よりも過去の追憶と未来の憧憬との感情であつて、そこには現在の堅固な把握が欠けてゐる。しかも現在といふ時間契機こそ現実的な歴史的意識の最も重要な要素であるべきである。まさに今日我々は歴史のかくの如き現在性の方面を力説すべき場合である。この点からすれば、ゲーテは浪漫主義者たちよりも却て歴史的であつたと云はれ得る。浪漫主義は遙かなるもの、朧《おぼ》ろなるもの、仄《ほの》かなるものに心をひかれる。従つてそこに見られるのは主観的傾向であつて、ここに先づ既に、客観的であることを本質とする歴史的意識と浪漫主義との乖離《かいり》がある。ゲーテは同時代のかやうな浪漫的傾向から離れて立つてゐた。彼は自己の時代を回顧しつつ、「私の全時代は
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