も不安の種とはならぬ。或は彼は、彼自身の云つた如く、事物の永続的な諸関係を取扱ふことによつて自己のうちに永遠を作り出さうとしたのである。然しそのことがどうであれ、永遠は無時間的もしくは超時間的であらう。そして歴史的なものはその本性上時間的であるとすれば、ゲーテにはもと歴史的意識が存しなかつたやうに考へられる。
 この点において浪漫主義は著しい対照をなしてゐる。それはその特殊な時間の感情のためにとりわけ歴史的であつたものの如くである。そしてアダム・ミューラーを始め、近代の歴史学が浪漫主義の中から乃至はその影響のもとに発達したといふことは周知の事実に属する。「時間に対する感覚、歴史に対する才能」は幸ひである、とノ※[#濁点付き片仮名ワ、1−7−82]ーリスが云つたとき、彼は浪漫主義の基調を言ひ表はしたのである。最大の幸福において浪漫主義者たちは時間の限りなき「流れ」を体験した。彼等は無時間的に持続する現在といふものを知らず、却《かえっ》て時間の無限に生成する旋律を感じた。あらゆる遠きもの、過去及び未来の遠きものが彼等を誘惑する。言ひ換へれば、浪漫主義とつねに結びついてゐたのは、時間について
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