私からかけ離れてゐた、なぜならそれは全然主観的な方向のうちにあつたし、然るに私は私の客観的な努力において孤立してゐた。」と述べてゐる。それのみでなく彼は、主観的であるか客観的であるかといふことにおいて、時代が後退的であるかそれとも前進的であるか、といふことの表徴を見出し得ると信じた。「後退と解体とのうちにある凡《すべ》ての時代は主観的である、これに反し凡ての前進的な時代は客観的な方向をもつてゐる。我々の今の全時代は後退的である、なぜならそれは主観的であるから。」我々はここに彼の歴史哲学の最も重要な思想のひとつを読み取らなければならない。彼の内的発展が進むに従つて、ゲーテの見方はいよいよ深く客観的となつて行つた。彼の感情は、彼自身が彼の対象的|思惟《しい》もしくは彼の思惟の対象性と呼んだものによつて補はれ、統一された。「自己を対象と最も親密に同一となし、それによつて本来の理論となるやさしい経験 zarte Empirie がある。精神的能力のこのやうな高昇は然るに教養の高い時代に属する。」ところでかかる「やさしい経験」こそ歴史家にとつて最も必要なものである。この点からしても、浪漫的詩人で
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