えて、現象の背後に、現象から離れて、求めることを要しない。自然が「精神に啓示しないものを、汝は槓杆《こうかん》や捩子《ねじ》をもつてむりやりに取つて来ることはできぬ。」単なる計量によつては生命ある普遍は捉へられない。真の普遍は特殊のうちに含まれ、特殊において直観される。今日、歴史学において重要な意味を有する Typus といふ概念はもと、かくの如き普遍を指すであらう。歴史を Typologie と見る見方はゲーテにおいて教師を見出さねばならぬ。或は寧ろ、ゲーテ的な直観、体験及び世界観の基礎の上に初めてテュポロギーは、その固有なる意味において成立することができる。テュプスはゲーテの形態 Gestalt もしくは原現象 〔Urpha:nomen〕 の意味のものでなければならぬ。かかる原現象とは何を謂《い》ふのであるか。「我々が経験のうちに認めるものは多くの場合いくらか注意すれば一般的な経験的命題のもとに持ち来たされ得るやうな事例のみである。この経験的一般命題は更に科学的命題のもとに従属させられ、それは一層高いものを予想する。そしてその場合、現象してゐるものの若干の欠くべからざる条件がより詳
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