しく我々に知られるやうになる。かくて凡てが漸次に高次の規則や法則に従属させられて行くのであるが、それらの規則や法則は言葉や仮説を通じて悟性に開示されるのでなく、いはば現象を通じて直観に現示されるのである。我々はそれらを原現象と名付ける。」即ち原現象とは或る普遍的なものである。然しそれは抽象的、悟性的なものでなく、この意味で法則といふよりもイデーもしくはエイドス(形態)であり、しかもこの場合イデーは経験から離れたものでなく、経験に即して直観され得るものである。それはイデー的なものとしてゲーテにおいて安全性または合目的性の感情と結び付いてゐた。「人間が到達し得る最高のものは驚異であり、そして彼を原現象が驚異せしめるとき、彼は満足すべきである。より高きものをそれは彼に与へ得ず、またより先きなるものを彼はそれの背後に求むべきでない。ここに限界がある。」もしテュプスがかやうな原現象の意味のものであるならば、それが単なる型或は類型を意味し得ないことは明かである。テュプスは寧ろ生ける普遍として形成法則 Bildungsgesetz と解せらるべきであらう。我々はこの概念がゲーテ的な原現象の意味を失つ
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