し、我々の在るところのものにして最も純粋な意味で我々の財産と呼ばれるものは如何に少いか。我々は凡て我々の前にあつた人々から並《ならび》に我々と共にある人々から受け且つ学ばねばならぬ。最大の天才ですらも、もしも彼が凡てを彼の内部に負はうと欲したならば、それほどにならなかつたであらう。」生とは自己の周囲との関係を育てる能力である。ゲーテは彼自身についても、彼の作品が多くの人々から栄養をとつたこと、他の人々が種子を蒔《ま》いておいた処で彼が収穫したこと、を述べた。彼も、彼の語を用ゐれば、「収穫の天才」であつた。「性格はただ世界の流れのうちにおいてのみ形成される。」「孤立してゐては、人間は決して目的に達することがない。」なぜなら「人間が何を捉え、何を作すにせよ、個人は自分だけでは十分でない、社会はつねに立派な人の最大の必要である。凡ての有能な人間は相互の関係に立つべきである。」人間は歴史と社会の中において自己を形成し、発展せしめねばならぬといふのが彼の思想であつた。
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Mein Erbteil wie herrlich, weit und breit !
Die Zeit ist mein Besitz, mein Acker ist die Zeit.
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かやうな思想を彼は就中《なかんずく》『※[#濁点付き片仮名ヰ、1−7−83]ルヘイルム・マイスター[#「※[#濁点付き片仮名ヰ、1−7−83]ルヘイルム・マイスター」はママ]』において具象化した。その遍歴時代の中には「時間は神と自然の最高の賜物である。」と云はれる。これら凡ての思想が最も健全な歴史の見方である限り、ゲーテに歴史的意志が欠けてゐたとは単純に考へられない筈である。彼は歴史を単に歴史として尊重することを知らない。彼は「生産的なものを歴史的なものと結合」せんとするのである。我々は過去に寄食すべきでない。過去は現在によつて生かされ、現在の立場から新たに獲得されねばならぬ。「汝が汝の祖先から相続してもつものを、それを所有せんが為に、自分の力で獲得せよ。」固より人間は歴史と社会に交渉することによつて自己の本質と孤立性とを失つてはならぬ。「生あるものはもろもろの外的影響の最も多様なる条件に自己を適応させ、しかも或る一定の獲得された決定的な独立性を失はないといふ天賦を有する。
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