完成に達することが可能であり、各々のモナドの間にはそのエンテレヒーの量に従つて無限の程度の差異がある。人間は最高度のモナドを現はし、人格は「地の子等の最高の幸福」である。「何物も在るのでなく、何物も成つたのでなく、凡《すべ》てはつねに成りつつある、変化の永久の流れのうちには何等の静止もない。人間は各々の瞬間と共に他のものであり、しかも変化の中において不思議に自己自身と同一であり、不変である。これはより高き存在の長所である。」不断に活動し、変化し、しかもそのうちにあつて自己をつねに維持し、持続せしめ得る程度に応じて存在はより完全である。人間は自然の個体化の最高の場合である。然し固《もと》より人間と他の自然の存在との間の差異は程度上のことであり、そこにはどこまでも連続性が存する。人間は自然の最高点を現はすにせよ、なおひとつの自然である。シラーは右に引用した書簡の中でゲーテに云つた、「あなたは単純な組織から一歩一歩より多く複雑な組織へ昇られる、かくて最後に凡てのうち最も複雑な組織即ち人間に至り、これを発生的に全体の自然の建築物の諸材料から築き上げられる。」ゲーテは人間と自然との間に内面的なアナロジーを見、それに従つて歴史と社会の構造をも考へたのである。「同一の法則は一切の他の生けるものに適用され得るであらう。」とゲーテはナポリから、自己の発見に就いて伝へるに際し、ヘルダーへ宛てて書いてゐる。
 然しゲーテのモナドには窓がないのでなく、その窓は広く世界に向つて開いてゐる。彼は事物の本質が何であるかはその全体のはたらきにおいてのみ認識されると考へた。「我々が一の事物の本質を言い表はそうと企てても無駄である、我々の目にとまるのは、はたらきであつて、これらのはたらきの完全な歴史がとにかくかの事物の本質を包括するのである。我々が一人の人間の性格を描かうと努力しても無駄である。反対に彼のもろもろの行動、彼のもろもろの行為を総括するがよい、さうすればその性格の形象は我々に対して現はれて来るであらう。」と色彩論への序文の中に書かれてゐる。人間が何であるかは、彼の全歴史を通じて顕はになる。人間は彼の環境、世間、過去及び現代の歴史と交渉することによつて初めて自己の本質を形成し、発展せしめ得る。「我々が我々の欲する何処《いずこ》に身をおくにせよ、我々は凡て根本において集団的存在である。我々の有
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