ある。原現象とは、それにおいて生成のイデーが純粋に眼前に横たはるところのものである、とシュペングラーは説明してゐる。現代の歴史家たちがゲーテから汲《く》み取らうとするのは、特にこのモルフォロギー的思想である。シュペングラーはその書物を「世界史のモルフォロギー」と名付ける。ゲーテにおける変態の思想は特殊なるテュポロギーを基礎とするのであるから、それはダーウヰン流の進化論との関係において見らるべきであるよりも、寧ろライプニツの Monadologie の思想に近く立つてゐたと云はれよう。モルフォロギーは彼にあつてモナドロギー的である。これらの点で我々は、ゲーテにおける有名なスピノザ主義なるものに少くとも重大な制限を加へなければならぬ。ゲーテ自身モナスもしくはモナドという語を使つてゐる。それは彼がアリストテレスに従つて好んで用ゐたるところのエンテレヒーにまで発展するものであり、個体または人格の本質を表はすためのものであつた。「我々が神即ち自然から受けた最高のものは、生命、換言すれば、休息も静止も知らぬモナスの自己自身の周りを廻転する運動である。生命を養ひ育てる衝動は各々のものに毀《こぼ》ち難く生具してゐる、しかもそれの特有性は我々及び他のものにとつてどこまでも秘密である。」――「動物の本能に関する問題は唯モナド及びエンテレヒーの概念によつてのみ解決される。各々のモナスは或る一定の条件のもとにおいて現象に現はれる一のエンテレヒーである。」このやうにしてゲーテにとつてもモナドは破壊され得ぬ個体的統一を意味し、この統一は活動的発展的統一であつた。然しまたかやうな個体は彼にとつてつねにテュプス的意味のものであつた。「特殊は種々なる条件のもとに現はれてゐる普遍である。」個体の発展といふのはそれがテュプス的となることにほかならない。
かくてゲーテの自然は、先づ一の発展史を含むことによつてスピノザの自然から区別される。ゲーテをスピノザと共に自然汎神論者と呼ぶにしても、ゲーテの汎神論はディルタイの語を借用すれば発展史的汎神論であつた。次にゲーテは全自然の生成のうちにいはば個体化の衝動がはたらいてゐるのを見た。すでに動物と植物との相違は、前者においてはより完全な仕方でその動的中心をなす有機的形成力が個体化の方向に向つて活動するところにある、と彼は考へた。個体的統一たるモナドの発展は最大の
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