れ、毎朝先生のお宅の前を通って学校へ行っていた私は、二階の戸がまだ閉まっているのを見て、昨夜も先生はおそくまで勉強されたのだな、とよく森川礼二郎と話し合ったものである。
*
卒業論文を準備していた秋の終わりに、私には一つの事件が起った。ある夜京都駅に有島武郎氏を見送っての帰り、小田秀人と議論しながら本願寺の前を歩いていた私は自動車にひかれたのである。危くひき殺されるところを全くの幸運で、左の肩の骨折ですんだが、一か月あまり入院した。そして『批判哲学と歴史哲学』という論文を出して卒業した。二十四歳のことである。
そのとし大正九年は、世界恐慌が日本をも見舞った年である。平和なりし青春は終って私の一生にも変化の多い時期が来つつあった。わが青春はほんとにはその時から始まったのであるといった方が適切であるかも知れない。
[#地付き](『読書と人生』一九四二年六月号)
底本:「現代日本思想大系 33」筑摩書房
1966(昭和41)年5月30日初版発行
1975(昭和50)年5月30日初版第14刷
初出:「読書と人生」小山書店
1942(昭和17)年6月初版発
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