は借りたが、一人の友人からだつて、金は借りなかつた。菊地にだつて、
「困つてゐるからかしてくれ」
 とは、断じて云はなかつた。云はないでも、
「君、金いるだらう」
 と、云つて、袂《たもと》の中から、くちや/\の十円紙幣を、二枚か三枚かづゝくれた。上の女の子は、もう大きいから、時節の物を着んと承知しないが、下の男の子は、冬の最中、夏服をきて、下へ、綿など、脊負つてゐた。
「冬服を買つてやりたいが」と、それを、ずゐ分、苦にしてゐた時に、菊池が、
「これやるよ」
 と、云つて二十円くれた。今でも、この二十円をくれた時の有様を、はつきりと、憶えてゐる。貰ふとすぐに、さよならをして、街へ出ると、涙が出た。いくら拭いても出てきた。貧乏をして泣いたのは、この時だけだ。借金取りは、二度|撲《なぐ》つた。
 大阪で「プラトン社」へ入つて「苦楽」を編輯し、それから、キネマへ手を出して、これが、又、差押へつゞきだ。東京へ越さうと、荷造りをしたのが、そのまゝ競売にされるし、その時のが、今でも、時々、やつてくる。僕の家に、何んにも無いのは、そのせいで、無い方が、身軽だと思つてゐる。
「近頃は、いゝだらう」
 
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