老外交官が大声を張りあげて喚きながら走って行く姿を。
 彼の嗄《しゃが》れた叫声《さけびごえ》をききつけて一つの青い顔が書斎の戸口に現われた、シモン博士の光った眼鏡と心配気な眉毛が、博士はガロエイ卿の叫声をききつけた最初の人であった。ガロエイ卿はこう叫んでいた。
「草ッ原に死骸が――血みどろの死骸が!」オブリアンの事等は少なくとも、彼の心から全く消え去ってしまっていた。
「ではヴァランタンに伝えなくてはなりますまい」と博士は相手が実見した事実を途ぎれ途ぎれに語った時、こういった。「しかし警視総監その人がここに居られるのは何より幸せです」
 彼がこういっている時に、大探偵のヴァランタンが叫声を聞きつけて書斎へはいって来た。彼は来客中の誰か、あるいは召使が急病をでも起したのではないかと気遣って、一家の主人または一個の紳士の懸命をもって駈付けたのだ。戦慄すべき凶事のことをきかされて、彼の威厳はたちまちに職業柄の活気を呈して来た。なぜならばいかにそれが戦慄すべき突発事なりとも、これは彼の仕事であったから。
「不思議ですなア、皆さん」一同が急いで庭へ下り立った時ヴァランタンは云った。「世界中至る
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