いて行った。

  泥人形

 常磐津富士春は、常磐津のほか、流行唄も教えていた。
 襖を開けた次の間で、若い衆が、三人、膝を正して
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錦の金襴、唐草模様
お馬は栗毛で、金の鞍
さっても、見事な若衆振り
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「そう――それ、紫手綱で」
 富士春は、少し崩れて、紅いものの見える膝へ三味線を乗せて、合の手になると、称めたり、戯談《じょうだん》をいったりして、調子のいい稽古をしていた。
 表の間の格子のところで、四人の若い衆が、時々富士春を眺めたり、格子の外に立っている人を、すかして見たりしながら、四方山《よもやま》話をしていた。
「その毛唐人がさ、腰をかけるってのは、膝が曲らねえからだよ。膝さえ曲りゃあ、ちゃんと、畳の上へ坐らあね」
 南玉が、表の格子をあけて、提灯の下から
「今晩は――益満さんは?」
「まだ見えていないよ」
「そうかい、もう見えるだろうが、見えたら、これを渡して」
 と、風呂敷包を置いて、出かけようとする後姿へ
「先生、一寸一寸」
「何か用かの」
「毛唐の眼玉の蒼いのは、夜眼が見えるからだって、本当かい?」
「話説《わせつ》す。目の当り、奇々怪々な事がありやした」
「又、諸葛孔明が、とんぼ切りの槍を持ってあばれたかの」
「怎生《そもさん》、これを何んぞといえば、呼遠筒と称して、百里の風景を掌にさすことができる、遠眼鏡の短いようなものでの。つまり、毛唐人の眼は夜見える代りに、遠見が利かん。一町先も見えんというので発明したのが、覗眼鏡に、呼遠筒、詳しくは、寄席へ来て、きかっし」
 南玉が出て行くと
「八文も払って、誰が、手前の講釈なんぞ聞くか」
 富士春の稽古部屋では、時々、小さい女が出入して、蝋燭の心を切った。
「この流行唄は、滅法気に入ったのう。俺の宗旨は、代々山王様宗だが、死んだら一つ、今の合の手で
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お馬は栗毛で
金の鞍
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ってんだ」
 富士春が、媚びた眼と、笑いとを向けて
「お静かに」
 と、いった。
「東西東西。お静かお静か。それで、その馬へ、綺麗な姐御を乗せての、馬の廻りは、万燈を立てらあ。棺桶の前では、この吉公が、ひょっとこ踊りをしながら、練り歩くんだ。手前の面が、一生に一度、晴れ立つんだ。たのむぜ」
「よし、心得た。友達のよしみに、今殺してやる。手前殺すに刃物はいらぬ、にっこり笑って眼で殺す」
「ぶるぶるっ、今の眼は、笑ったのか、泣いたのか」
 稽古場から
「煩《うるさ》い」
 と、一人が怒鳴った時、誰か表から入って来た。

「よう」
 と、一人が、のびやかに迎えて、会釈をした。
「今日は、少いのう」
 益満は、刀をとって、部屋の隅へ置いた。富士春が、軽く、挨拶をした。
「病人の見舞で」
「誰か、病気か」
「寅んとこの隣りの大工が、人にからかって手首を折りましてな」
「庄吉という男か」
「御存じですかい」
「わしの朋輩が折ったのだ。あいつは、掏摸でないか」
「ええ、時々やります。しかし根が、真直ぐな男で、悪い事って、微塵もしませんや」
「悪い事をせぬて。掏摸でないか」
「だって、掏摸と、泥棒たあちげえますぜ。庄吉なんざ、あっさりした、気のいい男ですぜ。あいつの手を折るなんざ、可哀そうだ」
「全く」
 稽古部屋の人々が出て来た。富士春は、小女の出す湯呑を一口飲んで
「休さん、南玉先生から、さっき、御土産が――」
「そうそう」
 と、一人が風呂敷包を渡した。益満が、開けると
「何んだ。薄汚い」
 一人が、こういって、益満の顔を見た。
「山猫を買いに行くのには、これに限る」
 富士春が
「悪い病だねえ」
「師匠の病気と、何《いず》れ劣らぬ」
 と、いいながら、益満は、袴をぬいで
「小道具を、一つあずかって置いてもらいたい。猫は買いたし、御門はきびし」
 益満は、そういいながら、部屋の隅で、汚い小者姿になって、脇差だけを差した。そして、両手をひろげて
「三両十人扶持、似合うであろうがな」
 と、笑った。
 富士春は、次の稽古の人々へ、三味線を合して
「主の姿は、初鮎か、青葉がくれに透いた肌、小意気な味の握り鮨と。さあ、ぬしいの」
 と、唄いかけた時
「頼もう」
 と、低いが、強い声がした。そんな四角張った案内は久しく聞いたことがなかった。御倹約令以来、侍は土蔵の中へ入って三味線を弾くくらいで、益満一人のほか、ぴたりと、稽古をしに来なくなったし――富士春は、唄をやめて、不安そうな眼をした。
(役人が、又何か、煩《うるさ》いことを)
 と、思った。
「入れ」
 益満が、答えた。格子が開いたので、富士春も人々も、大提灯のほの暗い蔭の下に立った人を眺めた。
(あいつだ)
 と、人々の中の二人――昼間の喧嘩を見ていた人は思い出した。富士春は
(まあ、いい男――休さんの朋輩には、稀《めず》らしい――)
 と、じっと、小太郎の顔を眺めていた。

 益満と小太郎とは、小者風であった。脇差を一本、提灯を一つ――芝中門前町を出て、増上寺の塀の闇の中を、御成門の方へ、歩いて行った。
「多少、聞いてはいるが、忍術の忍は、忍ぶでなく、忍耐の忍だ。『正忍記《しょうにんき》』など、ただ、この忍耐だけを説いている」
「奴さん、遊んで行かっし」
 闇の中から、女の声がした。
「急ぎの御用だ。戻りに、ゆっくり寄らあ」
 小太郎が
「何者だ」
「これが、夜鷹じゃ」
 ほの白く、顔が浮いて
「いい男だよ。ちょいと――」
 小太郎は、袖を握られて、振払いざま
「無礼なっ」
 女は、高い声で
「あっ、痛っ」
 と、叫んで、すぐ
「いい男振るない。泥棒、かったい、唐変木」
 と、浴せた。寺の塀の尽きるところまで、女達が、近くから、遠くから声をかけた。小太郎は、気まり悪さと、怒りとで、黙って急いだ。益満は、時々受け答えしながら
「諸事節約になってから、だんだんふえてきた」
 と、独り言をいっていた。御成門から、植村出羽の邸に沿って曲り、土橋へ出ないで、新《あたら》し橋《ばし》の方へ進んだ。
 斉彬は、多忙だったので、三田の藩邸にいずに、幸橋御門内の邸――元の華族会館――に起臥していたので、寛之助も、そこにおったのであった。
 大きい門の闇の中に立って、高い窓へ
「夜中、憚《はばか》り様、将曹様へ急用」
 と、益満が叫んだ。
「門鑑《もんかん》」
 益満が、門鑑を突き出して、提灯を、その上へもって行った。窓のところへも、提灯が出て、門鑑を調べた。門番は、門鑑を改めただけで、二人の顔は改めなかった。改めようにも、灯がとどかなかった。二人が、小門に佇《たたず》んでいると、足音と、錠の音とがして、くぐりが開いた。
「御苦労に存じます」
「有難う、ござります」
 二人は、御辞儀をしつづけて、急ぎ足に、曲ってしまった。
 益満は、提灯を吹き消した。そして、木の枝へ引っかけた。二人は、手さぐりに――様子のわかっている邸の内を心に描きながら
(ここを曲って)
(この辺から、植込み)
 と、中居間の方へ近づいて行った。益満は草を踏むと
「這って」
 と、囁いた。庭へ入ってからは、歩くよりも、這った方が、危険が少かった。二人は立木を避け、植込みを廻り、飛び石を撫で、一尺ごとに、手をのばして、手に触れるものを調べながら、御居間の方へ近づいた。灯の影もなく、人声もなく、ただ、真暗闇の世界であった。

「山一のことが――思い出される」
 益満が囁いた。小太郎は、床下へ入った時に、そのことを思い出していた。
 山一とは、山田一郎右衛門のことであった。高野山に納めてあった島津家久の木像を、高野山の僧侶が床下へ隠して、紛失したと称した事件があった。島津家が、窮乏の極の時、祠堂《しどう》金を与えなかったから僧侶が意地の悪い事をしたのである。それを、肥料《こえ》汲みにまでなって、床下から探し出したのが山田一郎右衛門であった。そして、それだけの功でも、相当であったのに、その褒美を与えようとしたのに際し、山田は
「褒美の代りに減《へ》し児《ご》を禁じてもらいたい」
 と、いった。減し児とは、子供が殖えると困るから、生れるとすぐ殺す習慣をいった言葉である。山田のこの建議によって、幾人、幾十人の英傑が、救われたか知れなかった。益満の如き小身者は、当然、減らされた一人かも知れなかったし、小太郎の後進の下級の若い人々は、大抵減され残しが多かった。だから床下へ入って、しめっぽい土の香を嗅ぐと、すぐ、山田の功績を思い出して
(首尾よく行ったら、自分の手柄も、山田に劣らない)
 と、考えた。
 床下の土は、じめじめしていて、異臭が鼻を突いた。七八間も、這って来た時、益満は静かに、燧石《ひうちいし》を打って、紙燭に火を点じた。紙撚りに油をしましたもので、一本だと五寸四方ぐらいが、朧《おぼろ》げに見えた。それで足りないと二本つけ、三本に増す忍び道具の一つであった。
 二人は、微かな光の下の土を、克明に調べかけた。もし、調伏の人形を、埋めたとすれば、土に掘った跡がなくてはならなかった。二人は、一本の柱を中心にして、残すところのないように這い廻った。
 微かに足音がしても、這うのを止めた。紙燭の灯の洩れぬよう二人の袖で、火を囲んだ。一寸、二寸ずつ少しの物音も立てぬように這った。
 小太郎が、益満の袖を引いて、その眼と合うと、前の方を指さした。益満が、うなずいて、大きく足を延して、一気に近づいた。土が盛上って、乱れていた。二人は、向き合って、片手で、灯をかばいながら、片手で土を掘った。十分に叩かれていないらしい土は、指で楽々と掘り返せた。
 二人の眼は、嬉しさに、微笑していた。小太郎が
「それに、ちがいあるまい」
 と、低くいうと
「箱らしい」
 益満は、両手で土を掻いた。白い箱が、土まみれになって、だんだん形を現してきた。二人が、両手をかけてゆすぶると、箱は、すぐ軽くなった。一尺に五寸ぐらいの白木で、厳重に釘づけにされていた。
「開けて」
 と、小太郎が、益満を見ると
「開けんでも、わかっとる」
 益満は、土を払って、箱の上の文字を見た。梵字《ぼんじ》が書いてあって、二人にはわからなかったが、梵字だけで十分であった。

(余り、うまく行きすぎた)
 と、二人とも思っていた。門の外へ出るまで
(何か、不意に事が起りはしないだろうか)
 と、忍び込む前とちがった不安が、二人の襟を、何かが今にも引捕えはしないだろうかと、追っかけられているような気がした。門を出て、植村出羽の邸角まで来ると
「やれやれ」
 益満が、笑い声でいった。幸橋御門を出ると、もう、往来にうろついているのは、野犬と、夜泣きうどんと、火の用心とだけであった。それから、灯が街へさしているのは、安女買いに行った戻り客を待っている燗酒屋だけであった。
 小太郎は、袖に包んだ箱の中を想像しながら
(これで両親も、別れなくて済むし、自分の手柄は、父のためにも、自分のためにも――それよりも、斉彬公が、どんなに喜ばれるであろう)
 と、頭の中も、胸の中も、身体中が、明るくなって来た。
「小太、先へ戻って、早く喜ばすがよい。わしは、さっきのところへ寄って、刀を取って行くから――」
 小太郎が、答えない前に、益満は、駈け出していた。
「なるべく早く――」
 その後姿へ、小太郎が叫んだ。
「猫、鳶に、河童の屁、というやつだ」
 益満は、大きな声で、独り言をいいながら、富士春の表へ立つと、もう提灯は消えていた。だが、まだ眠っている時刻ではなかった。
「師匠」
 益満が、戸を叩いた途端、増上寺の鐘が鳴り出した。
「誰方《どなた》?」
「ま、だ」
「ま?」
「まの字に、ぬの字に、けの字だ」
 益満は、大きい声を出すと
「やな、益さん」
 小女が、戸を開けて
「お楽しみ」
 と、からかった。
「師匠の方は?」
 襖の内に、二三人、未だ宵の男が残っていた。
「首尾は如何?」
 一人が、声をかけた。半分開いた襖の中に、酒が、肴《さかな》が並んでいた。
「お帰んなさい。丁度よいとこ
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