しましょうかの」
と、いうと
「見つけたとて、捕えられる対手ではあるまい」
そういった玄白斎の眼は、脣《くちびる》は、決心と、判断とに、鋭く輝き、結ばれていた。
島津家に伝えられている呪詛《じゅそ》の術は、治国平天下への一秘法であって、大悲、大慈の仏心によるものであった。私怨を以《もっ》て、一人、二人の人を殺す調伏は、呪道の邪道であり、効験の無いものである。仮《たと》えば、一人の敵将を呪い殺すということは、正義の味方を勝たしめることで――それは、一国一藩が救われ、ひいては天下のためになることで――つまり、小の虫を殺して、大の虫を助ける、というのが、調伏の根本精神であった。
だから、術者は、外に憤怒の形を作り、残虐な生犠《いけにえ》を神仏に供し、自分の命をさえ、仏に捧げて祈りはしたが、それは、その調伏を成就して、多数の人々が幸福になれば、生犠は仏に化すという決心と信念とからであった。
そして、その信念は、完全に、精神を昂揚し、普通の精神活動以上の不思議さを、常に示した。それは、小さい怨みとか、怒りでは到達のできない信念で、正義に立たなければ現れないものであった。
そうして、
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