だ。
「除《ど》きな」
 と、人々の肩を押分けて、前へ出て来た。人々が、振向いて、男を見て、笑った。

「よう、先生っ」
 と、見物の一人が叫んだ。
「南玉《なんぎょく》、しっかり」
「頼むぜっ」
 南玉は、麻の十徳を着て、扇を右手に握って
「今日は、若旦那」
 と、小藤次に、挨拶をした。小藤次は、振向いて、南玉の顔を見ると、一寸うなずいただけで、すぐに、小太郎を睨みつけた。
「今日は」
 小太郎は
「やあ」
 と、答えた。桃牛舎南玉という講釈師で、町内の馴染男であった。小太郎の隣長屋にいる益満休之助のところへよく出入しているので、知っていた。
「喧嘩ですかい、ええ?」
 南玉が、こう聞いたのに返事もしないで、小藤次が
「おいっ、何うする気だ」
 群集が、どよめいて、南玉の立っている後方の人々の中から、庄吉が、土色の顔をしてのめるように出て来た。職人が、振向いて、庄吉の顔から、左手に光っている短刀へ、ちらっと、目を閃《ひらめ》かして
「若旦那っ、庄吉が――」
 庄吉は、職人の止めようと出した手を、身体で掻き分けて
「さあ、殺すか、殺されるか、小僧っ」
 南玉が、両手を突き出して
「いけ
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