と、答えた。
「牧は、江戸へ上《のぼ》ったのう」
「はい」
 玄白斎は、眼を閉じて、暫く考えていたが
「阿毘遮魯迦《あびしゃろか》法によって、忿怒※[#「諂のつくり+炎」、第3水準1−87−64]曼徳迦《ふんぬえんまんとくか》明王を祭った、人命調伏じゃ。この法を知る者は、牧の外にない」
 呟くようにいったが、その眼は、和田を、鋭く睨んでいた。和田は、自分がとがめられているように感じて、面を伏せると
「この品々を、拾って――」
 玄白斎は、岩の上の木片、蛇皮を頤《あご》で差した。和田が拾っていると
「他言無用だぞ」
 と、やさしくいった。その途端――下の方で、それは、人の声とも思えぬような凄い悲鳴が起ってすぐ止んだ。

 二人も、ちらっと、眼を合せて、すぐ、全身を耳にして、もう一度聞こうとした。何んのための叫びか、もう一度聞えたなら、判断しようとした。暫く、黙って突立っていた二人は、もう一度眼を合せると、和田が
「斬られた声でしょうな」
 玄白斎は、答えないで、下の方へ歩き出した。
「四辺《あたり》に気を配って――油断してはならん」
 玄白斎は、脚下《あしもと》の岩角を、たどたど踏みつつ
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