、安心させようとしながら、七瀬は、眼の底、頭の隅に残っている今の幻像が、誰かに似ていると考えた。だが、似ているその誰かが思い出せなかった。
 抱き上げていて、風邪をひかしてはならぬと思ったので、寛之助が獅噛みついているまま、寝床の中へうつ伏せになって、毛布でくるんだ。
(あの物《もの》の怪《け》に、おそわれなさるのかしら)
 と、考えたが、そんなことが、有るべきはずでなかったし、自分の心の迷いから、幻に見たことを、迂濶《うかつ》に、人には話すこともできなかった。然し、心の迷いにしては、余りに明瞭《はっきり》と、幻の顔が残りすぎていた。
 微かに、足音がつづいて襖が開いた。方庵と、左源太と、奥小姓野村伝之丞とが、入って来た。三人とも、七瀬が、寛之助の熱を出させたように、睨みつけて、枕辺に坐ると
「何かに、おびえなされまして、急に、お目ざめになると、このお熱で――」
 方庵が、額へ手を当てた。
 七瀬が、身を引こうとすると
「こわいっ、いやっ――」
 寛之助が、烈しく、身体を悶《もだ》えて、小さい拳をふるわせつつ、七瀬の襟をつかんだ。
「左源太が、打《ぶ》った斬《ぎ》ってやりましょう。左源
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